「HSP養成合宿」に感動!
きつねさん 30代 男性
(2025年3月15日~20日アーナーパーナサティ16step徹底リトリート
にご参加 @NWEC)
瞑想合宿はとても充実した日々でした。
石川先生、スタッフの方々、ありがとうございました。
また、一緒に参加した受講生のみなさまも、その瞑想に励む姿はとても励みになりました。ありがとうございます。
わたしは4年くらい前からマインドフルネス系の心理療法への興味から、自己流で瞑想っぽいことをはじめました。1年ちょっと前にもっと本格的に瞑想を学びたいと思い、近所の禅寺で坐禅をしはじめました。同時に仏教の基礎知識も広く学び始め、相模女子大の近所に住んでいたので、瞑想会には何度か参加していました。しかし、瞑想会ではStep1のみで「続きは合宿で!」と言われている気がして(?)、また普段の坐禅に刺激を入れるために参加しました。
その坐禅経験1年からみたアーナパーナサティは、なんて合理的な修行体系なんだろう!という驚きがあります。坐禅は極論Step1のみ、全集中の呼吸壱ノ型を極めろ!みたいなところがあります。また、16Stepに絡めながら初期仏教の基礎知識が解説され、それを瞑想で実践することで深く理解することができました。なんだか大学の講義を1日3コマ受講しているような、がっつり学べる勉強合宿の喜びもありました。
身体の組について。
わたしは身行を静める部分で、中学生のときによく練習した自律訓練法を思い出しました。静めようとすると静まっていく感覚が自己催眠の感覚にとても似ています。シェアリングの時間では全身麻酔の感覚、金縛り、幽体離脱?などいろんな意見が出ましたが、わたしは自己催眠で石になる感覚が、深く瞑想状態に入るコツのような手応えを掴みました。また、自律訓練法にハマった中学の自分が大人になって瞑想に夢中になっているのは、なかなか面白いと思いました。
感受の組について。
ピーティについて誤解をしていました。瞑想の文脈におけるピーティは離欲による喜びのニュアンスが強い。ここでわたしは、数年前にミニマリストを目指したことを思い出しました。金目のものは全部売り払い、売れないものはゴミ袋に放り込んで全部捨てて、捨てているときは辛さもありましたが、なにもなくなった部屋をみて、謎の嬉しさが湧き上がってきました。そのあと、マインドフルネスストレス低減法の書籍を買って、すっきりした部屋で大の字になって瞑想っぽい習慣をはじめました。この謎の嬉しさこそ離欲の喜びだと気づきました。しかし、欧米ミニマリズム思想は限りあるリソースを大事なモノや価値観に集中させていくような、より執着を強める方向性で、仏教的な捨とは性質が違うことにも気づきました。
モノを手放すように価値観を手放すこと、それは苦痛を伴います。でも、モノを捨てた後の離欲の喜びを得た成功体験があれば、心にも向き合えるかもしれないと思いました。食生活も同様、野菜中心の食事には揚げ物や砂糖への離欲の喜びがあります。心の激しい抵抗も心行を静め、変性意識状態に入り、コツコツ向き合うことで手放せるかもしれないと思いました。これからの課題です。
一番心に残ったのは、もともと合宿参加前から悩んでいたことを質問したときの回答でした。はじめは心穏やかになるためにはじめたマインドフルネス瞑想が、気づいたらどんどん感覚が敏感になる結果、HSP気質は強化され日常生活が生きづらくなる問題。それに対して、瞑想でいろんなことに敏感になるか、無知で鈍感でいるかは選択の問題。
いわばこの合宿はHSP養成合宿!この表現は極端ですが、ここまで言いきってくれて長い間抱えていたモヤモヤが晴れたので感動した瞬間でした。HSPは生かす方向で考える、そしてそれは智慧と慈悲を育てることで生かす道が開かれる予感がしました。
これからの日々も、合宿参加を思い出すことによって、それをモチベーションに継続して瞑想の時間を日常のなかで確保していきたいと思います。
コメント(石川勇一):
私は自分がHSPであることを誇りに思っています。
HSPは人間社会では生きづらく感じることがあるかもしれませんが、
瞑想は微細な世界、刹那の世界に観察の解像度を上げていきますので
HSPは世界の実相を知るためにはアドバンテージかもしれまん。
幸せでありますように
(2025年3月15日~20日アーナーパーナサティ16step徹底リトリート にご参加 @NWEC)

(リトリートでの瞑想前の写真)
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