瞑想会参加者のご感想

     
 法喜楽庵の瞑想会参加者の感想です。同じ瞑想会に参加しても、感じ方はそれぞれ異なります。どれもとても貴重な体験と気づきです。
 参加を検討している方は、雰囲気を知る一助としてご参考にして下さい。参加された方も、他の方の感想を読んで新たな発見や学びがあるのではないかと思います。
  ご感想をお寄せいただき、掲載のご許可をいただいた皆さまに感謝申し上げます。幸せでありますように。 石川 勇一
 
 ※リトリート参加者の感想はこちら
 


 
 とても有意義。自由で開かれた雰囲気がとてもよい(匿名)
 
→参加者の皆さまがマナーを守り、配慮してくださっているお陰です。
 学ぶ場の雰囲気はとても大切ですね。
 よい雰囲気を維持するように注意深く努めます(石川)
 


 
 今日は御指導ありがとうございました。毎回、さまざまな気づきがあり、とても助かっております。また内容を鑑みると、大分お安い料金で有難く思います。ありがとうございました。(匿名)
 
→これからもお値段以上の瞑想会にします(石川)
 


 
 とてもよい勉強になり、毎回楽しみにしています。オープンな開かれた雰囲気で、誰でも自由に質問できるのもありがたいです。会場が家から遠いのが少し大変ですが、他では得られない多くの学びがあります。参加者の皆さんとディスカッションをする時間もとても有意義です。日本は大乗仏教の国なので、お釈迦様のオリジナルな教えに直接触れる機会がとても少ないので貴重な経験になります。足が悪いのでいつも遅れて申し訳なく思います。身体の様子を見ながら、これからもずっと通い続けたいと願っております。(匿名)
 
→ダンマ(法・真理)について語り合うというのはとても貴重ですね。参加者の皆さんからとてもよいご意見が出されるので私も楽しいです(石川)
 


 
 石川先生の声のトーンや話すスピードも含めて聞きやすく、お話がとてもわかりやすいです。法談義ができる場はありがたいなーとつくづく思います。
 石川先生が勤行の時に吹かれる法螺ですが、山の峰々にこだまする法螺の音色を想像しながら、山で聞きたい!と憧れています。
 瞑想会には続けて参加させていただきたいです。(I.K.さん)
 
→法喜楽堂のリトリートでは山を歩いて皆で一緒に法螺を吹きます。機会があればご参加下さい(石川)
 


 
 今日はありがとうございました。
 瞑想というものをしてみたいと思いつつ、しっかりした指導者のもとで行わないと危険だと聞いていたのでなかなか機会を見つけられずにいましたが、石川先生を見つけてすぐさま飛びつきました。
 ということで完全に初心者として参加し、なにもかも初めてでした。特に印象に残ったのは「勤行」です。パーリ語と見慣れない日本語がずらりと並んでいる書物を渡され、始まる前から怯んでいましたが、それでもブツブツ一緒に唱えてみると、歌のような抑揚やリズムが心地いいのと、よく読むとなんだかこの世の真理が書いてあるようだと内容に惹きつけられました。ちょうど今日は「平穏・安寧」というテーマの会で、私にとってのそれは、外側のものに振り回されない・揺らがない状態を想像しましたが、ブッダの教えはその状態を保つのに非常に有効な教えだと思いました。
 例えば短い瞑想で生けるものすべてに慈悲の念を向けることをしましたが、それも嫌なことをしてくる人がいても、慈悲の念を向ける心があれば、こちらも攻撃で返すという思考にならず、いなすことが可能になることに繋がると思います。そういった意味で、ブッダの教えを通して見る世界とそうじゃないのとでは、捉え方がまるで違ってくることを体験しました。
 ただやっぱり瞑想は難しかったです。お腹空いたなぁ、残りあと何分だろうとか次々と関係のない思考が浮かんでは消し、うとうと上下に揺れて寝てるのかと思いきや意識は常にあるという具合で、ちゃんと瞑想できてるのか謎でした(笑)。コツを掴めたら一人でもやろうと思えますが、1回の体験だとなかなか難しかったです。
 瞑想会ってみんなでやるので良いですね。一人だったら、勤行は言葉を噛みまくって嫌になるだろうし、長い瞑想も本格的な眠りに入るだろうと思います。皆さんがいるので、楽しくやり通せました。また参加したいです。(H.S.さん)
 
→瞑想に入っている人がたくさんいる場所にいると、瞑想がやりやすくなります。だから、瞑想をしっかりやることは、自分のためになることはもちろんですが、周りに人にもよい影響を与えて貢献することになります。瞑想するだけで自他を利するのです。面白いですよね(石川)
 


 
 これまで浄土真宗に親しみ、それゆえに「修行」に対しては複雑な思いがありました。しかし石川先生の『修行の心理学』を読んで、新しい体験として瞑想に触れてみたいと感じて参加しました。
 最初の「短い瞑想」は「自分に慈悲の心を向ける」ことがイメージできず(そのような心持ちで自らに接してこなかった自分に気づいて大いに驚きましたが)、全く集中することができませんでした。
 しかし吉祥経について話し合い、ダンマのお話を聞く中で大変腑に落ちるものがありました。「凡夫が自力で修行をしたところで業から逃れるものではない」というところから浄土真宗は始まりますが、私としては今回のお話のなかにあった「涅槃に向けて進んでいこうとしているという時点で平安が始まっている」という考え方は、とても腑に落ちるところがありました。
 「全ての人は既に救済されていることに気づきましょう」と説く浄土真宗も捨てがたく、そのおかげで私も比較的平穏な心の状態を保っていますが、それはそれとして、瞑想の魅力も今回よく感じることができました。約30分間の呼吸の瞑想は、途中ぼんやりしてしまいずっと体をくねらせていましたが、最後の最後にスッと静まる感覚があり、2分間くらいそれを味わいました。30分間は必要な時間であったことを感じ、セッションの後に続けてまた30分間座ってみました。とても興味深い感覚だったので、また時間を作って試してみたいと感じています。(鎌田高明さん)
 
→究極の目的をはっきりと知り、生きる方向性が定まり、心の底で決意を固めたときから、私たちはずっと幸せの道を歩き続けることになります。新しい人生がスタートします。
 気持ちが定まらずぐらぐらしている人は、周りに流されてばかりいて、修行をしても結局なにもつかめないことが多いように思います。熟考して、確かな道を見つけ、その道を自ら歩みはじめる人がいたらとても嬉しいです(石川)
 


 
 お釈迦様の教え、瞑想とダンマについて、そして吉祥経については途中からでしたが4年近く学ばせて頂いています。参加できない時期もありましたが、毎回頂く言葉が日々の生活の心の指針となる事が多くありました。最近だと吉祥経の中の「憂いなく」というワードがよく浮かんできて、私は憂いていたなと気付いて切り替えられる事が何回もありました。昨日学んだ「安穏(平安)であること」は、自分自身の中道を探りながら生きていく中で繰り返し助けてくれる言葉になりそうです。
 また先生に質問した内容に対し、瞑想は善行為であることを改めて教えて頂きました。瞑想を通して清らかになり安穏になる人を世界(宇宙?)が求めている、という言葉に、(先生が言われた事と合ってるでしょうか?)瞑想を通して涅槃を垣間見たい、という思いが強くなりました。日常の中ではまだまだ気付きが追いつかず、世俗の事柄や人間関係、自分自身の感情にハマりこみ翻弄されている時間が多いです。日常の中での気付きを大切にしながら、心を鍛えていきたいと思います。(K.T.さん)
 
→やるべきことから逃げるために瞑想をしたり、自分と向き合うことから逃げるために利他の行為をするのはあまりよくないですよね。
 しかし、慈悲心によって他人のために行動することも、瞑想によって心を浄めることも、どちらも尊い善行為です。どちらかだけが善いのではなく、どちらも善いのです。人によって、人生でやるべき課題や役割が異なるので、どちらを優先されるかは一概にいえませんが、どちらもできたらよいと思います。相乗効果もあると思います。
 正しい瞑想を深めると、心が穏やかになり、次元の違う幸せがあることを知り、智慧が開かれてくると思います。思い上がることなく、頑なになることもなく、瞑想の意識が開発さたら、ただそこにいるだけでも、見えない形で他人に役立つ存在になれるのではないかと思います(石川)
 


 
 石川先生のご著書を拝読し、仏陀の教えや瞑想に興味を持ち、瞑想会に参加させて頂きました。まだまだわからない事だらけですが、石川先生のお話しや参加者さんの実体験のお話しを伺ってると、なるほどな〜と思う事があり、毎回気づきを頂いております。
 瞑想も出来ているかはわかりませんが、具体的な方法を何故この方法が良いのかを教えて下さるので初心者でもわかりやすく有難いです。瞑想会の後は、心がすっと整っている感じがします。
 この様な場を作って頂きありがとうございます。今後も仏陀の教えと瞑想を深めていきたいと思いますので、宜しくお願い致します。(匿名)
 
→ダンマの学びが深まりますように。正しい道に確信がもてますように。(石川)
 


 
 最近仏教に興味を持ち, 半年前からお寺の坐禅会に毎週参加してます。今回はじめて初期仏教の瞑想会に参加しました。昨日は曹洞宗の坐禅会に参加して、 昨日と今日のカルチャーギャップがとても好奇心を刺激しました。
 お寺は暗くて陰気ですが法喜楽庵は床が温かみのある色のカーペットで雰囲気がまず違います。昨日はどちらかというと陰気な節で般若心経を唱え、今日はパーリ語で歌うような読経をしてとてもおもしろかったです。昨日は修行とその証は同じである修証一等にウンウン頷いて今日は涅槃を目指しましょうということにウンウン頷いている自分も面白いです。教義や慣習で異なる点もありつつ、三宝への帰依が共通しているところも味わい深い経験でした。(匿名)
 
→理性的に比較検討し、一番善いものを見つけてください(石川)
 


 
 チャンティング(&ほら貝)がある瞑想会は、チャンディマ長老来日時くらいしかないが、日本語の読み合わせも含めてとても良かったです。参加者の方の気づきの練度が高いのは、ダンマの解説含めて良質な智慧と知識が皆様の心を整え、学びを深めていることの証左だと思います。本格的な瞑想の前に慈悲の瞑想を入れるのも理にかなっています。非常に良かったです。ありがとうございます。(M.H.さん)
 
→チャンティングは、それ自体が瞑想ですし、ダンマを心に刻み、深層意識にまで浸透させる効果があります。その利益は非常に大きいと思います(石川)
 


 
 今回初めて、参加させていただきました。
 石川先生に法螺貝を吹いていただいたとき、すごくびっくりしました。室内に響き渡る振動を直に感じることができて『会場に来て良かった』と思いました。強烈な法螺貝の音の振動が、身体を通過し、胸だけがそのまま空中に射止められて空中上で静止している感覚でした。
身体は振動と共に溶けていき、目は大きく開いていました。
なんというか、自分自身が法螺貝の振動になったようなつもりでした。
自然物である貝から、こんな音がでるなんて
地球の声だと思いました。
なんかすごく昔の地球の記憶が蘇ってくるかのような感じで、しかもそれは瞬間的で、時間と空間を超越してるなと思いました。
もっと聴いていたいと思いました。
富士山の麓で聴いたらどんなんだろうと思いました。
瞑想に関しては、やっぱりますます16step瞑想法が気になりました。
(I.W.さん)
 
→よかったですね!! 
 このように感じていただいて、下手なほら吹きの私もとても嬉しいです!
 I.K.さんの身体と心が開いているからこのように感じられるのですよ。
 おっしゃるとおり、これはオンラインだとなかなか伝わらないので、会場に来て下さった方の特典ですね(石川)