「求法者」として生きていきたい

小川純子さん 52歳 女性 自営業
 
(2022年5月1日~4日瞑想法基礎徹底リトリートにご参加 @法喜楽堂
 
 
 2022年5月1日~4日の4日間のリトリートを終えて1週間が経とうとしています。私にとっては3回目のリトリートでした。石川先生が創られる「場」には必ず「シェアリング」という時間があるなと感じていました。私はこの時間が始めはとても苦手でした。プログラムの中にこの文字を見つけると、もうこのことに支配されてしまいどのように発言すべきかと、そればかりに意識が向いてしまっていた時期がありました。今はふっとその時々で湧き上がってくる言葉が口からサラサラ出てきているという感覚があります。言い方をかえると「えっ、私はそう思っていたんだ」と少し驚く時もあるくらいです。私にとってのこの時間は、同じプログラムを体験されている方々の内側を知る機会でもあり、知ったことで自分の内側が動き出す機会ともなり、この揺さぶりから何かが新たに湧き上がってきたりという貴重な時間ともなっています。
 
 「シェアリング」この言葉を通じて3回目のリトリートを終えた今、ふとこの数年ただ前だけ観ながら突き進んできたなという思いが湧き上がってきました。石川先生とのご縁から「ダンマ」と出会うことができたのは、いつからだったのだろうかと思い返し保管していた手帳や講座の配布された資料を読み返してみました。

 2018年4月「瞑想がもたらす利益と不利益~心理学と原始仏教の視点から」という講座の資料を読み返していましたら、私の字で、「お釈迦様は私の言ったことは信じるのでは無く修行して確かめなさい。信じてもダメだと言った。修行??」「慈悲喜捨の捨が一番大事、捨って何??」と記載されていました。私の探求のスタートはここからだったのかもしれません。
 
 2018年7月「心理療法に瞑想とダンマを導入する:スピリット・センタード・セラピーの試み」この講座を受講した際に、月に1回瞑想会が開催されていて、リトリートというものもある。と知りました。私の中にはいつも本当のことが知りたい。という強い思いだけはいつからかは覚えてはいませんが確かにありました。絶対真実はある。でもそれが解らない。解らないから知りたい。
 
 2018年9月に初めてリトリートに参加させていただきました。参加する前に瞑想というものを全くおこなったことが無いが参加しても大丈夫かを石川先生に質問をしたとき、「せめて5分は瞑想ができるようにはしてきてください」と言われ、本当に5分だけ練習して参加したなと少し自分に笑ってしまいます。初のリトリートではいろいろな思いや感情感覚が湧き上がり自分に振り回されそうになりましたが、「シェアリング」の時間に支えられて乗り越えられたのだと思います。この後、どうやって学び続けたらダンマを理解できるのか、「普遍的真理」とは解るようでまだ解らない。どうしたらいいのだろう。絶対一人では無理だと考え、リトリートから1ヶ月後の10月に個人セッションをお願いしました。

 2018年12月には2回目のリトリートに参加をし、2019年からは月1回の瞑想会に参加するようになりました。
 
 コロナ禍の2020年からオンラインによる瞑想会が開催されそこでモニター越しに石川先生が新しい「勤行儀」を作られたと知りすぐに購入させていただきました。中村元先生の訳された書籍は私には読みづらくなかなか読み進められなかったので新しい「勤行儀」が私のテキストとなりました。
 
 2018年4月から2022年5月を振返ってみて、変わらないのは私の中に常にダンマがあるということです。理解力、確信は少しずつ増えていくという段階ですし、小さな気づきを繰り返しているだけですが、確実に私にとっての真実は増えてきています。この体験記を書かせていただきながら、振返る機会をいただきながら、また一つ私の中の真実に近づけたかもしれません。

 
 4年前には「悟り」「解脱」という言葉は私にはほど遠いものでした。でも、今の私の中心には「求法者」として生きていきたいという思いがあります。
 
 改めて、今回の「2022GW瞑想法基礎徹底リトリート」に参加させて頂きまして本当にありがとうがざいました。石川先生、お食事を作ってくださった学生の方々、参加された皆様とのご縁に感謝いたします。皆様とのご縁によって、私は「自分が無知であるとはどういうことか」「私の中の傲慢さ」この2点に気づくことができました。お蔭様で日常の観え方が少しですが変わってきている気がしています。本当にありがとうございました。 
 
 


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