不思議に楽しい

阿部邦永(仮名) 61才 男性 建築設計
 
都市計画の仕事をやっていました。
現在は、世界最先端のエコハウスを開発し、事業化していきます。
もう官僚と組んで仕事などやる気はさらさらありませんでした。
 
ある難易度のものすごく高い都市計画をやらざるを得ず、恐怖感で体調を崩しました。
その都市計画に役立ちそうなデータで「トランスパーソナル心理学」を知り、
アートマンの館を知り、石川勇一先生を知り、7月相模女子大学の瞑想会に参加し、瞑想を自分なりにはじめ、なんと、8月山中湖3泊4日の瞑想リトリートに参加、9月のリトリートまで参加してしまいました。
 
自分でもビックリしています。
なんでぼくがここにいるの、という感じです。
単なる仕事の1データでしかなかったのに。
しかもほとんどトランスパーソナル、心理学、ヒーリングといわれても分からないのに・・・。
 
真剣ではありませんが、新宗教をやっていて、その宗教なりの瞑想をやっていましたが、
石川先生の瞑想のメソットがあまりにも簡単で、しかも瞑想後こころが爽やかになり、
できるだけ朝晩やり、数日経つとなにか変化していったことに気づきました。
最近は、夜寝る前の瞑想が楽しみになってきました。
 
一番うれしい変化は、イラッとくると家族を怒鳴りつけていました。
その後必ず自分に嫌気がさしていたのですが、
気づいたら極度にそのことが減っていました。
 
リトリートでそのことを先生に話すと
「阿部さん、朝晩瞑想で平和な気持ちになるのですから、こころが静まり人を裁く気持ちは当然減っていきますよ」
といわれ、なるほどと思いました。
 
この1年あることに執着していました。本当に苦しかったのです。
ところが8月のリトリート参加後、ある日フッと「執着はもう離そう」と閃いたんです。
そのとたん、この1年執着したことで、自分が磨かれ、最高レベルの商品にたどり着き、
そのうえ都市計画まで生かせる状況にたどり着いていることに気づきました。
驚きました。自分の優れた部分を認めました。
執着を離し、協力者の幸せだけを祈るようになりました。
 
するとものすごく気が楽になり、仕事に静かにむかえるようになりました。
 
石川式瞑想法は鼻の呼吸に集中するだけ、というメソットです。
なにも考えない。
鼻の呼吸に集中。
なにも考えない。
 
日常生活で、フッと閃くんです。
面白いです。
 
瞑想リトリートで最初に宣言されることは
「今から、終了まで私語厳禁」です。
当然ビックリしました。
4日間口をきかないんです。
法談儀のときに先生に質問する時と僅行儀だけ声をだします。
同室の方と挨拶もしません。
 
終ってみると、良いんです。
静寂の世界がいかに貴重かということをはじめて知りました。
わたしたちの日常生活が、いかに雑音に囲まれて生活しているかに気づかされました。
 
初学なのでよく分かりませんが、原始仏教の瞑想法がなにかスピリチュアルなものであったり、
なにか霊的な不可思議な世界を見るのなら、ぼくは全然興味を示しません。
また苦しみぬいて座り続けることは耐え難いことです。
絶対にやりません。
 
足が痛かったら崩します。
そして、
鼻の呼吸に集中。
なにも考えない。
鼻の呼吸に集中。
なにも見ない。
 
なんと合理的で平和なこころをつくるシステムでしょう。
 
リトリート最終日、午前は山行で法螺貝を吹かされます。
最初は石川先生の単なる趣味と考えていました。(失礼)
法螺貝を吹く。音は全然でない。過呼吸で眩暈がする。
誰も歩かない山道を歩かされる。
3日も座っているのだから、足が痛くなってくる。
 
頂上に着く。富士山に向かって法螺貝を吹かされる。
先生だけが得意気に法螺貝を吹いている。(失礼)
音がちょこっとでるようになる。
なんとなく気分が良いような気もする。
でも最後まで満足のいく音はでない。
足が痛い。
 
そして・・・ 午後の瞑想。
断然違うんです。
自分が深く瞑想をしていることが分かりました。
 
静と動の一致。
初学なのに生意気なことを言います。
仏陀とは、ものすごくシンプルなシステムを提示したのではなかろうか。
静かに呼吸する。
平和な時間を座ればつくることは誰にでもできる。
 
朝晩で1時間の瞑想。
1ヶ月で30時間。
1年で365時間の平和な時間をもつことができます。
 
ぼくはシンプルにこのことを続けようと考えています。
 
たった2ヶ月弱の体験です。
理屈はなにも知りません。
感想ですか。
「不思議に楽しい」ということになりました。
生きていて、こんなところにつれてこられるとは思いもしませんでした。
 
石川勇一先生ありがとうございます。
 
 


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