何も足さない!何もひかない!シンプルの中の幸福感

吉備愛子 58歳 女性 
 
友人に誘われ詳細も調べず、石川先生の事も良く知らないまま瞑想合宿に参加しました。それはタイミングと直感だったのだと思います。たとえ合宿が最悪だとしても、山中湖に旅行に行くと思えば納得できたのですが、しかし瞑想合宿は、良い意味で期待を最高に裏切ってくれました。変な日本語ですよね!「良い意味で期待を最高に裏切ってくれた」なんて・・・。でもそれ以上に表現のしようが無いのです。
 
私は過去に多少の座禅経験はあるものの、足の組み方から入り、少しでも体が揺れると「ピシッ!」と警策が入る禅道には馴染めませんでした。今回もその延長かなと思っていたのですが、内容は全く違っていました。富士山の見える道場で、全行程を石川先生も一緒に座り瞑想して下さり、法談義も勤行も全て一緒に行い、しかも食事の用意も先生が行って下さいました。申し訳ないと思いつつ、そのお食事の美味しい事といったら有りません。有り難い食事とは、このような事を云うのだと思いました。食事中は一切の会話はせずに食するのですが、その静寂は食べ物の有難みと共に、体の栄養となり豊かに身に満たされる感覚が判ります。日常ではテレビ音の中で食してしまうので、この様な感激と発見は出来ません。東京に戻ってからも、私は食事時には「食前観」と「食後観」を唱え、テレビを付けずに食事をしています。雑然とした都会の空間でも、食事を通して幸福感を味わえます。
 
次に「瞑想」についてですが、anapanasati(出入息随念)を基本とし、感覚がとても掴みやすい方法でした。最初雑念があるものの、一日目よりは二日目、二日目よりは三日目と、瞑想に深く深く入って行けるようになり、三日目の瞑想では一瞬ではありましたが身体の存在すら感じられない瞬間がありました。そして自分の身体の「陰と陽」を巡る体内旅行の気付きは、自分の体全てに感謝したくなる思いになりました。以前カウンセラーをしている友人より、「慈しみをもって自分の体を撫でて上げなさい」と言われた事があるのですが、その時は抵抗がありましたが、今回は心から感謝しながら自分の身体を撫でました所、心まで温かく癒され、私はこの体を大切にして行こうと思いました。
 
そうそう、歩く瞑想も経験させて頂き、ゆっくり歩く事はとても難しかったです。今までの私の生き方は、せかせかと目まぐるしく過ごして来た為、ゆっくり歩く瞑想に重ね合わせ深く反省しました。これからはゆっくり歩きながら、時を刻んで行きたいと思っています。
 
山巡礼は日ごろの運動不足が祟り、心臓が爆発するかと思う程苦しかったのですが、休みながら呼吸を整えて進むと、途中より真綿の上を踏みしめているような感触を体験しました。まるで山の精霊に脇を抱えられて登頂している感触でした。頂上で富士山に向かい法螺貝を吹く時は、冴えない音ながらも徐々に音がでる喜びを体感し、山巡礼が好きになりました。私はこれから車内より富士山を見たら、思わず手を併せてしまうだろうと思います。それだけ山岳にはパワーがあり、有り難いと云う事に触れられてとても嬉しいです。
 
今まで背負ってきた「悩み・苦しみ・怒り」等は、今回の瞑想で大分楽になりました。東京に帰ってからも、瞑想は朝晩に行っています。決して無理にでは無いですよ!瞑想がとっても気持ちよくて、楽しみな位です。瞑想合宿のお陰でストレス食いも無くなり、睡眠も良質の睡眠に変化しています。明日の朝も瞑想をしたくて、きっと早起きすると思います。
 
日常生活の中で、暫し自己超越した世界とつなぎ逢うのも幸せなひと時です。シンプルの中に幸福ってあると、気付かせて頂いた「瞑想&山巡礼リトリート」でした。
 
合掌
 
 


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