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瞑想エッセイ シューニャ 2007

 
 
シューニャ(Shunya)とはサンスクリット語で「空(くう)」を意味します。
このページでは、瞑想に関することや、
瞑想意識のなかで湧いてきたものを題材にショートエッセイとしています。
瞑想に関心のある方や、瞑想を実践されている方に、
少しでも参考になれば大変幸いです。
 
*このページには2007年に SQLife Blogに執筆した分を掲載しています(全49編)。
 
Copyright(c) 2007-2009 Yuichi ISHIKAWA,All Rights Reserved.
 


 
瞑想の道
 
私たちが空に浸ったときには、
無条件の喜びに満たされます。
その喜びのなかでは、
苦しみ、悲しみ、怒り、むなしさ・・・
あらゆる感情がやさしく溶かされていきます。
 
瞑想の意識が広がっていくと、
細々とした無数の出来事に遭遇しながら、
それらがすべて因果と縁起の中で生滅していることに次第に気づくようになります。
 
瞑想はその気づきと目覚めを
少しばかり早めようとする試みです。
 
2007年12月14日
  


 
 トラウマの解消
 
辛い出来事が起きると
それがトラウマとなって、
心に刻印されてしまうことがあります。
 
トラウマがあると、
あたかも檻に閉じこめられたように、
心が分割されて、
世界がせまくなってしまいます。
 
トラウマによる恐れが
無意識のうちに心に境界をつくり出し、
それを乗り越えられなくなってしまうからです。
 
心が成長するためには、
トラウマを解消する必要があります。
 
そのためには、トラウマをよく観察する必要があるのです。
少し辛いことですが、
心に刺さった棘をよく見つめるのです。
 
呼吸を深くして、心の痛みを感じ、よく観察しましょう。
そうすれば、トラウマと、それにくっついたさまざまな感情は感覚が、
変化してくるはずです。
その変化する様子を、よく観察し続けるのです。
 
トラウマは永遠ではあり得ません。
観察すれば、変化が起こり、やがて生滅するのです。
 
トラウマによってなにを得たのか、
なにを得られるのか、
考察するのもよいでしょう。
トラウマに感謝して別れを告げられます。
 
2007年12月02日
 


  
ひとつになるとき
 
私が大いなるものの部分になりきるとき
私はもっとも調和してひとつになるのです。
 
2007年11月30日


 
深い理解力
 
いろいろな物事に出会ったときや、
人から話をきいたときに、
自分にはまだ理解できていないことがある、
理解できていないがとても重要なことがありそうだ、
という感覚がしばしば湧く人は、
理解力が深い人です。
 
理解できていることと、
理解できていないことの両者が視野に入っているからです。
 
いろいろな物事に出会ったときや、
人から話をきいたときに、
しばしばすべて分かったような感覚になる人は、
理解力が浅い人です。
自分が理解できている範囲しか見えていないからです。
 
すでに理解していることと、
未だ理解できていないことの全体を観られる人は、
きわめて明晰な人です。
 
自分の頭で理解できていない
重要なことがあることを察する眼を鍛えることが、
知性を超えた智慧を育みます。
 
2007年11月27日
 


 
心の孵化
 
ある調査によると、
長年ひきこもりをしている人が、
今日の日本には推定100万人ほどいるということです。
 
ひきこもりは、
他人との交流が閉ざし、
一人になり続ける状態です。
 
不健康な状態ではありますが、
なかにはひきこもりのなかで心の転換を体験する人もいます。
 
人との関係の中で見失っていた、
自分自身を見つめ直し、
自分の内なる力を発見するのです。
 
自分の力に触れたならば
もはやひきこもっている必要はなくなります。
生まれ変わって世に戻ることができるでしょう。
もちろん復帰はそれほどたやすい道のりではありません。
 
しかし、世間に適応しているだけの人びとは知らない
重要なことを知り、
新たに生まれなおしたのです。
 
2007年11月03日 
  


 
瞑想の恩恵
 
私たちは常になにかを考えています。
私たちは常になにかを感じています。
思考や感情が止めどもなく流れ続けているのです。
 
瞑想をすると、
そのことにはっきりと気づくようになります。
なんと騒がしい心であるかと。
 
考えるのではなく、考えていることを観る、
感情に浸るのではなく、感情の波を眺めていると、
思考や感情から次第に解き放たれます。
 
思考や感情から解放されたとき気づくのです。
静かな心はなんと平和なことかと。
 
さまざまな悩み、苦しみ、むなしさ、孤独感、・・・
これらはサンカーラ(心身のうごめき)が静まったとき、
すべて消失します。
 
お金や地位を得ても満たされない心、
他人と親密にかかわっても癒やされない孤独感、
他者からの承認を得ても満たされない欲求、
とまらない無智な思考のおしゃべり、
これらからすべて離れるのです。
 
瞑想の恩恵は、他のもので代替することはできません。
 
 2007年09月22日
 


 
日日参拝
 
よいお宮の境内に入り、
参道を歩いて行くと、
しだいに清々しく神聖な空気に変わっていき、
心も浄められるのを感じることができます。
 
日々の瞑想は参拝と少し似ています。
瞑想をはじめると、
意識は鳥居をくぐって日常を離れ、
参道を歩んで次第に身心が静まり、
心が澄んでくるのを感じることができます。
 
雑念・妄念・感情を離れた清らかな状態こそ、
心の栄養源です。
 
日々瞑想することは、
家にいながらにして日々参拝するようなものです。
 
2007年08月06日


 
狂気の花
 
私たちは、
他人の中であっても、
自分の中であっても、
狂気に出くわすと反射的に目を背けてしまいます。
 
しかしそのとき、
私たちは自己を小さくしてしまっているのです。
狂気は複雑に絡み合った事情から、
そこに必然的に生まれていることも多いのです。
 
狂気は理解されにくい、ワケありの花です。
排除された心の叫びが、
狂気という形で開花しているのです。
 
狂気が現れたとき、
狂気によりそっていると、
その叫びがフッと伝わってくることがあります。
そのとき、狂気を理解できます。
 
狂気にならざるを得なかった事情や、
狂気になることが正常であったという事実に気づくかもしれません。
 
狂気を抱きしめるとき、
私たちには痛みの伴う喜びと、
大きな愛に満たされます。
 
狂気がよく理解されたとき、
狂気は癒やされ、正気に戻ります。
狂気である必要が無くなったからです。
心が広くなり、豊かになります。
 
長いあいだ排除されつづけていたなにかが、
故郷に迎え入れられたかのようです。
勘当された息子が、
ようやく我が家に迎え入れられたのです。
 
2007年07月24日
 




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