これこそが瞑想の極点!「ブッダ注入」でスピリチュアル沼から抜けた

40代 女性 フリー編集者 

 

(2023年4月30日~5月5日アーナーパーナサティ16step徹底リトリートにご参加 @法喜楽堂)

 

 私はこれまで20冊以上のスピリチュアル本や雑誌などに携わった編集者です。仕事柄、さまざまな瞑想やスピリチュアルワークに触れてきました。シーターヒーリング、ヘミシンク、osho、坐禅止観、カッシーナ、アイソレーションタンク、引き寄せ、前世療法……などなど。つまみ食いしたヒーリングは数知れず。それでもどこか物足りず、これだというのが見つからないままあらゆるシステムを詰め込んだ自己流瞑想に落ち着いていました。その自己流瞑想とは、なんらかの光が見えた瞬間に「金が欲しい」「痩せたい」「頭が良くなりたい」などと多種多様な欲望を脳内宇宙に向かって叫んで終わるというものでした。最初はこれがうまくいっていて、願ったことがバンバン叶っていたのですが、次第に効力を失い、うまくいかないことがあると「瞑想が足りん!宇宙に願いが届いていないのだ!」と、溜まった仕事もせずに瞑想しながら寝るようになりました。ひどい時はコロナを言い訳に仕事をすっぽかして瞑想して謎の“巻き返し”を図っていました。ただ寝てただけなのですが・・・。これがいわゆる瞑想の「沼落ち」です。
 
 そんな中、たまたま石川先生の『修行の心理学』を読む機会がありました。熊野の修験道やブラジルでのアヤワスカ体験、そして、タイやミャンマーで上座部仏教短期出家修行を経て、さらにスピリチュアルワークにも造詣が深いという、先生のバラエティに飛んだ経験値に圧倒され、そんな人が辿り着いた最終瞑想があるということで興味を持ちました。
 
 「ブッダ直伝瞑想」という衝撃的なキャッチにも魅了され、すぐにリトリートに申し込んだのですが、蓋を開けてみれば「呼吸の瞑想」……。正直「なーんだ、また呼吸か」という感じで全く期待していませんでした。
 しかも……です。講和も含めて2、3日ワークを続けていると、あることに気がつきました。この瞑想は、よくある「自分探し」の瞑想ではなく、どんどん自分の欲を捨てていく「自分無くし」の瞑想であるということです。それに気がついて戦慄しました。「自分が無くなるのなんて嫌だ!個性がなくなる!凡人以下になる!なんて酷い瞑想なんだ!」と。
 
 しかし……です。なんと、「自分無くし」の作業は「探し」の作業よりも圧倒的に比較にならない程の物語があったのです。無くしていく作業なのに“ある”というこの矛盾した感覚はブッダ直伝瞑想でしか絶対に味わえません。少なくとも、私の経験では初めての感覚でした。最初から先生は「この瞑想はそこがすごいんだ」と力説されていたのですが、愚かなもので体験しないとその凄さは全くわかりません。ですから、この体験記を読んだところで何も伝わらないでしょう。でも、これはまさに逆転の発想で、知恵の輪が解けた時のような「アッ!!!!」という感覚です。恐らく、人生イチのアハ体験です。「ブッダは本当に天才だったのだ」と一瞬で腑に落ちます。人間のこんな隠れた本質に気がつけるブッダはすごすぎます。この瞑想に出会わなかったら私は一生「自分探し」をして寝てばかりの人生で終わっていたでしょう。重複しますが、これはどんなに言語化しようとしても恐らく誰も正確に書き表すことができない、言語を越えた革命的な体験です。ですから、やった人にしか絶対にわかりません。文字で読んで「あー、はいはいアレね」と、わかった気になっている人がいたら、それは大変な損をしています。これほどの意識変革をもたらす瞑想法はないと思いました。
  
(2023年4月30日~5月5日アーナーパーナサティ16step徹底リトリートにご参加 @法喜楽堂)
 


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