リトリート後に胸の奥底から熱い思いが湧き上がる
50代 女性
昨年から石川先生の瞑想会に参加し、ご著書や講演を通して学び始めました。先生からは行を積まれた方が放つ崇高さや慈悲が感じられて、いつも心の中で合掌礼拝しています。
私の記憶ではこの4日間のリトリートで30分の瞑想を21回と、4分間の瞑想を7回ほど行いました。私にとっては体の痛みと眠気に耐えるだけで、ちっとも集中できない4日間でした。様々な思いが浮かび、思いが画像の様に見えることもありました。先生から雑念には囚われずに「見せてくれてありがとう」とまた意識を鼻に戻すよう指導されていましたが、それでもなお、気になることがありました。
初日に「やだ、やだ」と子供のように地団駄を踏む自分が見え、翌日は道場から走り去る自分が見えました。大きな課題を抱え疲労しながらも私の職業人生や私生活は充実しています。また長時間の瞑想は辛くても、無言で行う清掃やお台所のお手伝いも清々しく充実感を伴うものでしたから、何か釈然としない気持ちで耐えていました。
帰宅後も瞑想に集中できなかった後悔の念は消えず、気晴らしにのため海に出かけました。海は凪でいつ来るとも分からない波を待ちボディボードに体を預けているとき、胸の奥底から熱い思いが湧き上がってきて、4日間の体験が府に落ちたのです。
私は石川先生とのご縁をいただく前は、呼吸をコントロールする瞑想を行っていたので、自然呼吸が難しくて過呼吸になるかと思うほど苦しい思いをしていました。その心の現れが地団太を踏む自分であり、過去の癖を手放そうとする心が道場から離れていく自分の姿であったと気付いたのです。また、体の痛みは攻撃的霊性(詳細は『スピリット・センタード・セラピー』に載っています)の指導者から受けた痛みを伴う体験が心身から放出されるものだったと、自分の内側から納得のいく答えが出てきたのです。
昨日も今日も、リトリートに参加する以前より、瞑想においても日常生活においても集中力が増しています。これでやっと石川先生流瞑想を行う入口に立てたのだと思っています。先生のご指導のもと、霊峰富士に抱かれながら良き同行に恵まれて貴重な体験をさせていただけましたこと、心より御礼申し上げます。
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